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 ■インラインスケート雑記


 《おもちゃの靴でスケートはできない》

毎年一定の人口でインラインスケートを始める子どもはいるものと思われます。

しかし、残念なのはどの子が履いているのも、たいてい「おもちゃブーツ」だということです。卜はそれを見ると、とても悲しくなります。プラスティックのウィール(タイヤ)はグリップしないので蹴っても進まず、横滑りもします。ベアリングを使っていないものはウィールが転がりません。バックルを締めるほどに足が痛くなる薄いインナーで、痛いわりにはホールドも良くありません。「スケートをやりたい」と本気で思っている子どもにおもちゃの靴を与えるのは、とても残酷なことです。上手な子どもなら2週間、そうでない子でも1〜2ヶ月経てば、おもちゃの靴は役に立たなくなり、楽しくなくなります。それで、子どもが靴を放り出したのを見て「ほら、やっぱり長続きしないだろ?」なんて言われた日には・・・。おもちゃ靴の氾濫は、インラインスケート普及の大きな妨げになっているように感じています。

おもちゃのスケートで長続きをしないのはあたりまえのこと。それは子どものせいではなく靴のせいで、そんな靴を与えた親のせいでもあります。

また、おもちゃの靴を使うことによって捻挫や骨折など怪我の危険も高まります。靴本体だけでなく薄い布地にペラペラのプラスチックが貼り付けてある、付属品のおもちゃプロテクターの危険性も指摘されています。転んだ拍子に膝プロテクター(もどき)のプラスチックのエッジで膝蓋腱を切った子どももいるそうです。

たかだか数千円のお金を惜しんで、子どもの可能性の芽を摘み取ってしまったり、いらぬ怪我を蒙ったりするのはつまらないことだと思いませんか?

子ども本人が「靴を欲しがって」いるのか「スケートをやりたがって」いるのかは、親御さんなら見分けが付くと思います。「単に“所有欲が満たされればいい”というレベルの子どもには、あえてきちんとした靴を買う必要もない」とS-FOURのtakkunが言っていたことは以前blogにも書きましたが、それは卜もその通りだと思っています。しかし「スケートをやりたがっている子」には、きちんとした靴を与えてやれば長続きをする場合の方が多いんじゃないかと思います。

数年前まではジュニアスケートの最小サイズも19cm〜というものばかりで、子どもの足も最低17〜18cmぐらいにならないと履ける靴がない状況だったようです。ウチの子の例もありますが、最近では15cmぐらいあればなんとか履ける靴も出てきました。

K2やROLLERBLADE、FILAのジュニアスケート靴は、型落ちのモデルであっても市場には出回っており、6〜8千円ぐらいで買えるものもあります。オークションならばもっと安く手に入るケースもあります。3,4年前のモデルでも機能的にそれほど大きな違いがあるわけでもないので、サイズが合いデザイン等が気に入ればトイスケートとそれほど変わらない値段でも手に入れることができるのです。

卜はメーカーや店の回し者でも何でもありませんが、これから子どもにスケート靴を買ってやろうと考えている親御さんがいたら、おもちゃではなく本物の靴を買ってあげてください。そして、それを機会に子どもと一緒にスケートを始められることもお勧めします。

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 《伝えずにはいられない》

現在はありがたいことに、道具の選び方から立ち方転び方といった乗りかたの基本からはじまって、スラロームの基礎テクニックから複合技にいたるまで、どのように身に付けていったらよいかを動画を付けながら詳細に解説しているwebページもあります。

国内のインラインスケート黎明期(前世紀の終わりごろでしょうか?)はインターネットの黎明期でもあり、自宅に居ながらにしていろいろな情報を得ることも、他のsk8erさんとの情報交換も今のようにはできなかったことでしょう。

そういったこともあって、例えばスラロームの技ひとつを覚えるにも時間がかかったそうです。スケート歴の長い方が「今の人たちは自分がスケートをはじめた頃に半年かかってやっと覚えたことを、一ヶ月も経たないうちにどんどん覚えていく」と言われているのを聞いたことがあります。

インラインスケートはマイナーなスポーツでもあるので、公園などで自分の他にsk8をしている人に会うととても共感を覚えて、初めて会った同士でも会話が弾んですぐに仲良くなれたりします。sk8スポットとして有名な(というかsk8erさんたちが集まる)場所では、先人たちが自分の練習の手を休めて、後から始めた人たちに惜しみなく技術を指導しているような光景も見られます。

「俺は身に付けるのに半年かかったんだから、自分で苦労してやってみなさい」なんて吝嗇をせずに教えてくれる人たちがいるなんて、素晴らしいことですよね。

「インラインスケート普及の一助に」とか大儀はどうでもよく、単純に教えたくなるところもあるものなんでしょうね。卜(ぼく)なんて、始めて二ヵ月半そこそこですが、公園に親子で来て「子どもがやりたいって言うんで。今日始めたばかりなんです」なんて人に会ったら、おせっかいと知りながらも教えてあげたくなりますもの。

せっかく始めたんだから、これからも長く続けてもらいたい。せめて、インラインスケートがこんなに楽しいものだということを知るまでは続けて欲しい。はじめの、ほんの少しの苦労を乗り越えればすぐに、誰彼問わず伝えたくなるような、伝えずには居られない楽しさが待っているのだから。

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 《誰に、どうやって習うか?》

インラインスケート初心者、というかこれから始めようとする人が取る行動を、我が身に引き当てて考えてみます。

  1. ネットに上がっている解説ページや動画、あるいは書籍を参考に独習
  2. 初心者向け講習会に参加する
  3. 公園へ行く(中・上級sk8erの集まるスポットへ、教わる目的で)
  4. たまたま、近所にsk8erがいるので個人的に教わる
  5. 手がかりなし

大雑把には、こんなところでしょうか。1⇒5の順で、敷居が高くなっていく気がします。

卜がスケートを始めるにあたって考えたのは1.の方法です。身の回りにスケートをやっている知り合いはいなかったし、とりあえず書いてあることを自分で試して、ダメなら別の方法を取ろうと。トリックスラロームの技を習得するということが目的でないなら(PCを自由に使える環境がある、というのが前提になってしまいますが)インターネットから独習に必要なじゅうぶんな情報は得られるのではないかと思います。過去にレビューを書きましたけれど、インラインスケートに関する書籍は種類も限られているということもあり、書籍のみを頼りに独習するのは少々心細いというか難しいところがあるように思います。

独習には向き不向きもあるかと思いますし、雑多な情報の中から自分にとって必要なものを選び取る手間もかかるので、他人に勧めるとしたら2.か3.の方法ですかね。わからないことをその場で直接聞ける、悪いところを指摘してもらえる、など、人に教わるということには数多くのメリットがありますし、上達には一番の早道です。問題は、教えてくれる人がいる場所に、自分が通えるかどうか?ということでしょうか。

自分が比較的スケート人口比率が高いと思われる首都圏に住んでいるのであまり意識したことがなかったのですが、関東以外の地域では近くにsk8erの集まる公園がなかったり、講習会が行なわれる場所が遠かったりということがあるかもしれません。

講習会は開催が告知されたり、行く前から概要を知ることができるのでよいのですが、「公園に行く」方法は、事前にある程度の情報が得られる場合と、そうでない場合があり、「行ってみないとわからない」というところはあります。また、sk8をしている人たちの輪へ入っていく、というか話しかける勇気が必要な場合もあります。実際はそれほどでもないことも多いと思うんですが、2.と3.の間には天辺(てっぺん)の見えないほどの高い壁が聳(そび)え立っているように思える、という方も少なくはないはずです(^^;

環境(特に、自分が住んでいる場所)やタイミング、運とか縁のような不確定要素に支配されているところがまだまだ大きいのかなぁ。

本当は「自分でなんとかできること」が壁に見えてしまうこともあります。ここ十数年来の先人たちの努力によって、さまざまな困難はあっても「何もないところから自分の力で道を切り開いていかなくてはならない」というほどではなくなっているとは思うんですけどね。

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 《むかしむかし》

トレノがまだトレノ(AE86のラリー仕様。6Pロールバー入れて後席も取り払い2名乗車。サス、ブッシュ、エンジン・ミッションマウント強化。アンダーガード装着、車室内にはラリー・コンピューター、消化器まで搭載etc.のフル・ラリー仕様車。JAFの競技車両規定に合致する範囲内でできうる限りの改造を施した。陸運にマル改申請出してたから合法チューン)に乗っていたころは、いつも近所に「遊べる場所」がないかを探していました。「遊べる場所」の条件は以下のようなものです。

河原で遊ぶことが多かったんですが、今思うと、かなりグレーゾーンにも入り込んだりしていましたね(^^;

最近はいつも、近所で「遊べる場所」がないか探しています。その条件は以下のようなものです。

・・・どこかにないかなぁ、そんな場所。

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 《セレンディピティー》

電気書院発行「電気計算」3月号に掲載されていた今村遼平氏(アジア航測顧問・技師長)の【偶然は準備のできている人には、必然としてとどまる】と題するエッセイに感銘を受けました。要点だけ引いてまとめようと思ったら原文より長くなりそうだったので(^^;全文を引用させていただきます。

---(引用始まり)

2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生の助手が、先生にポリアセチレンの実験で1ミリモルの触媒を入れるように指示されたのを、誤って1000倍の1モルの量を入れてしまった。もちろん、こうしてできた銀色のフィルムは失敗作だが、白川先生は捨てないでそれを使っていろいろな実験をし、結果的に電気を通すプラスチックを開発したことは周知のとおりである。このあと、ペンシルバニア大学のマグダイアミッド教授からの要請で共同研究を続けて、のちに「導電性ポリマー」の開発でともにノーベル賞の受賞に至るのだが、そもそもの発端は失敗作を捨てないで調べてみたことにある。

レントゲン(1845−1923)がX線を発見したのも劇的だ。彼はクルックス(1832−1919)が見つけレナート(1862−1947)が発展させていた陰極線の諸現象をテーマに、今日で言う「ガイスラー管抜気実験」をしていると、電源を入れて陰極線を光らせたとき、管から離れたところに置いた蛍光発光板(白金シアン化バリウムを塗ったもの)が同時に光り始めた。その源は陽極から出ており、陽極全部を遮光用のラシャで覆っても蛍光板を光らせる。レントゲンはいろいろな物質でその光を遮へいしてみたが、多くのものを透過してしまう。ただ、鉛だけは厚さ1.5mmでも完全な遮へい効果があることがわかった。レントゲンはこの未知なる光を「X線」と命名した。

先輩格の物理学者クルックスもレントゲンより前に同じ実験をしていて、そばに置いた感光板が露光しているのを知り、欠陥商品としてメーカーに返品していた。この差は一体何か?レントゲンはX線の発見で第1回のノーベル物理学賞を受賞している。

このように偶然が作用して重要な発明・発見をした人は数多くいる。フレミングによるペニシリンの発見をはじめ、硬質ゴムを発明したグッドイヤー、ポアンカレーの「フックス関数」の発見、ケクレルの「ベンゼン環(核)」のアイディアなど、枚挙にいとまがない。 このような「偶然や偶然のひらめきを幸運に変える力」を、イギリスの作家ホレス・ウォルポールは童話『セレンディップ(セイロン)の三人の王子の冒険』にちなんで《セレンディピティー》と名づけた。しかし、このような幸運は誰にでも簡単に訪れるわけではない。生理学者ヘルムホルツ(1821−1894)はこのようなセレンディピティーの到来を、次の三つのステップに分けている。

  1. もはや先に進めなくなるまで続行される最初の執拗な探求
  2. 1.のことをしばらく忘れての休息と回復の期間
  3. 予測しなかった解決法の偶然の到来

細菌学者ルイ・パスツール(1822−1895)はこのことを「偶然は準備のできている人には必然としてとどまる」と述べている。いつも考えていない人にこのような幸運が訪れるわけはないのだ。

---(引用ここまで)

知的な探求の世界に限った話ではなく人生全般にわたる示唆に富む話です。

「時をつくる」という表現があります。「時」を待っているだけでは、その「時」は来ない。 「運を招き寄せる」という表現もあります。不確かにみえる要素を、確かなものに近づけていく。

外にあるとばかり思っているものの大半は、じつはすべて自分の中にあるのではないでしょうか?

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 《フラットセッティングについて》

インラインスケートを始めてしばらくの間、卜(ぼく)は長いフレームの靴で、ウィールのセッティングもフラットで(要するに買った時のままの状態で)やってきました。

およそスラロームには向いていないと思われる靴で、スラロームの基礎技の練習を三か月くらいやっていました。

2010年の4月、お花見LRの帰りに寄った光が丘。靴はROLLERBLADEのフィットネスブーツ。84mmウィール、260mmフレームで、ヒールブレーキ付きでした。

けやき広場のいつもの場所に着いた時、滑ろうかどうしようかちょっと考えたんですが、結局靴を履いてパイロンに入ってみました。左足先行でクロス、スネークをしていると、見ていた相馬ママが「あら?左利きなんですか?」と。「いえ、今日は街中を走ってきたんでヒールブレーキを付けたんです。これ、固いピンを抜かなきゃいけないんで簡単に外せないから、そのままで(^^;」と説明をすると「ブレーキ付いてるとどうしても左足が前になっちゃいますよね〜」なんて会話をしつつ、試しに利き足側でもやってみると、レギュラー側のバックワード以外はわりとイケます。どこかで支(つか)えて転びそうな危うさが全くないわけではないんですが。

h/i-ROMさんのwebページに「ヒールブレーキをどうするか(いつ外すか)」について「ヒールブレーキをつけたままでもフォアクロスが出来るようになればかなり上達しますから、ハンデのつもりで付けておいても良いと思います。くれぐれも足が絡まないくらい深くシザースするのを忘れずに」と書かれていて、スラロームを始めたばかりの頃、卜は(外さなくてもできるようになるかもしれない?)と思って暫くブレーキを外さないでやっていたのですが、1パイロンごとに支(つか)えて先に進めそうになかったので(やはりダメか・・・)と、結局外しました。その頃の自分と比べると、多少なりとも上達しているのかな、と変なところで確認できたような気もしました。

曲がらないセッティングを、それがあたりまえだと思い込んでいると、どうしたら曲がれるか(というか、足がこんがらがらないようにできるか(^^;)を工夫するようになります。差し込みの時につま先から入れていくように、開くときもつま先を開く、そのためにはヒザも開いたり閉じたり、うまく使わなくてはいけない、とか、エッジも思い切りアウトへ倒す、足の前後差は、前後の重心の配分は、など、いろいろ考え、試したことも、ムダな苦労ではなかったかな?と思えるのです。

ひょっとして、最初から短いフレームで、2番3番ウィールを下げた状態で始めていたら、素通りしていていまだにわからなかったこともあるかもしれない、と感じています。

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 《コピーするということ》

アマチュア演奏家が楽器を練習するのに、既存の楽曲をコピーすることがあります。レコード(昔だったらそう言えば通じたのに最近はこれでは通じにくいんでしょうか?CDでもMP3でも音源は何でもいいや)を聞きながら、演奏者が弾くのと同じように自分でも弾いてみる、というのがコピーです。

何のためにコピーするのかといえば、卜(ぼく)は「自分の演奏(技術)の幅を広げるため」だと思っています。そのために、一旦は演奏者がしていることをできる限り忠実に再現することが必要である、とも思っています。

もう少し詳しく書くと(楽譜を載せずに言葉で説明するのは難しいのですが・・・)、たとえば卜はベーシストなのでベースラインをコピーする。八分音符でGGGGAAAAという一小節があったとして、一つ一つの音の強さ、長さはどれくらいか。ピッキングの種類やニュアンス、音の飲み吐きのダイナミズム。A音は3弦開放で鳴らしているのか、それとも4弦5フレットで鳴らしているのか。とか、GからAが滑らかに繋がっていたらそれはハンマリングで移動しているのかスライドで移動しているのか。・・・まぁ、キリがないんですが、そこまで考えてコピーしなかったらコピーの意味がない。

ただ曲を演奏するだけなら誰かがいい加減に採譜したスコアとかTAB譜を見れば済むことなんですが、上記のようなことを考えながら自分の耳で聴き、何通りもの方法で音を出しながら、元のプレイの再現を試みるということをしていかないと練習にはならないのではないでしょうか。(そういうふうに考えることのできない演奏者を作り上げてしまうというのが、TAB譜が悪者扱いされる理由の一つでもあります)

そうして、いろいろなジャンルのいろいろな音楽のモノマネを繰り返していくことがオリジナリティ獲得のための第一歩であるというのが卜の考えです。

スラロームはどうなんでしょうね?

誰かの動きを盗む。自分好みのスタイルで滑っている人のように、自分でも同じようにできないかやってみる。それはある種、音楽をコピーするのに近いようなところがあるのではないかという気がします。もちろん、どこまで頑張っても不可能な事っていうのは確かにあるんでしょうけれども。

誰かのモノマネでもオリジナルに迫るような滑りを実現するために、どうしたらできるんだろうか?といろいろ考えながら滑る。そのなかで、自分に欠けていたものが補われることもあるでしょう。基礎練とか筋トレのような、地道な練習を多く積んでいる人ほど多くの動きに対応できる、というか、コピーの過程でそういった地道な練習の大切さを痛感することもあるでしょうね。(それは音楽でも同じです)

そうした努力の後には自然とオリジナリティが獲得できているはず。ではないでしょうか?オリジナリティって、単に「他人と違う動きをする」ということではなくて、きっと内面から滲み出るものだと思うから。

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 《パイロンをどのように見るか?》

フリースタイルスケーティングを指向する人で「スラロームはパイロンに縛られているので不自由である」と言う人がいます。誤解のないように言っておきますが、フリースタイルスケーティングを指向するすべての人がそういう考えを持っている、ということではありませんし、一面から見ればたしかにそういう捉え方もあるかもしれません。

スラロームにはパイロンが必要だし、パイロンの個数や間隔(競技会になれば演じる時間など)も一応は決まっています。

フリースタイルスラロームはトリックスラロームに比べれば幾分自由であるように感じますが、文学に譬えるなら西洋のソネットと、日本の短歌や俳句ぐらいの違いであって、どちらも定型詩のように決め事や制約が設けられていることに変わりはありません。

それでは、実際にスラロームを愛好する者が不自由を感じながらやっているかというと、そんなこともありません。スラローマーにとってパイロンは詩人にとっての韻律のようなものではないでしょうか。

TSでもFSSでも、フリースタイルジャズのimprovisationで、危うくヨロメキつつも淡々とコードは進行していったり、一見メチャクチャな演奏しているように見えて4ビートは常に鳴っている感じに滑られたらカッコイイでしょうね〜。

以前(いまから10年ぐらい前に)「精進料理や短歌俳句などの伝統文化を作り上げてきた日本人は、ある種の制限・制約の中で無限の創造力を発揮することに長けている民族である(趣旨)」というエッセイを書いたことがあります。その時のお題というか内容は「ケータイのショートメールに使われているAAについて」だったのですが。スケートに関しても欧州・韓国スタイルではない、150cmのスラロームが日本で発生し育った背景に「伝統的制限文化」を記憶に蓄積してきた日本民族固有の資質がありはしないだろうか?

じつは卜(ぼく)はAGOカップを見物していた時に、まるで歌会とか句会のように感じたんです。していることの本質(頭の働かせ方)がとても似ているのではないかと。それが今回のエントリーの着想にもなりました。

書き出したのはいいのですが・・・話を拡げすぎ&考えがまとまっていなさすぎ(まとめられなさそう)なので、「トリスラ短歌俳句論」みたいなものはこのへんで止めにしておきます。

いずれにせよ、万般にわたって「あえて縛ることによって生み出されるもの」がある、と卜は思っています。

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 《インラインスケートって、小さなクルマ》

卜(ぼく)はスラロームをするのでも、ロッカーリングをせずに四輪同じ大きさのウィールで2,3番のアクスルシャフトを下げないいわゆる「フラットな」セッティングで滑っていますが、滑っているうちに1番4番のウィールがより多く削れてナチュラルロッカード状態になるので、たまにウィールローテーションをした直後は僅かにアンチロッカー状態になり曲がりにくくなります。

スケートを始めた初期、FILA NRKを買う前にはHYPNOとか、フレームは長くてフラットのセッティングなうえにウィール径も大きいROLLERBLADEで普通にスラロームをしていたのでフラットセッティングでどうやって曲がるかについていろいろ考えながら滑っていました。

卜は車やバイク(を運転すること)が大好きなので、スケートを、スポーツというよりクルマやバイクを操る感覚で「乗りもの」として捉えているところがあります。滑ることについてもそういった乗り物の挙動に置き換えて考えると腑に落ちることが多々あります。

クルマでもバイクでも、タイヤ(ウィール)の付いた乗り物は、ウィールが回転するほど直進しようとする性質があります。ですから、舵を切る直前にはアクセルを閉めるのが基本です。強くブレーキをかけて操舵輪(たいていは前輪)に一旦荷重を移動し、縮んだサスペンションが戻り操舵輪から重さが抜けるタイミングで舵を切ると、なお曲がりやすいです。

また、クルマが停止した状態でブレーキをかけたままステアリングホイール(ハンドル)を回そうとするよりは、タイヤを転がしながらの方が舵は切りやすいです、というかタイヤを転がしながら舵を切らないと、偏磨耗してしまいます。パワーアシストのないステアリングが普通だった頃、駐車場などの据え切りでクルマが完全に停止した状態でハンドルを回そうとして重くて回らずに苦労をしている人をよく見かけました。

パワーステアリングが当たり前になると、タイヤが回っていなくても、ブレーキを踏んだままでも、操舵輪に荷重を載せたままでも、あまり深く考えずにぐりぐりとハンドルを回す人が増えました。そう考えるとパワーステアリングも良し悪しです。

スラロームをしようとする人は当たり前のようにショートフレームに交換したりロッカリングをするわけなんですが、自分のような下手っぴぃがロッカリングをすると、たしかに楽に曲がれるようにはなるんですが、クルマでいえばあまり深く考えずにハンドルをぐりぐり回している人と同じように、ほんとうに曲がるためにしなければいけないことをスッ飛ばしていることがあるような気がします。

スラロームは小さなコーナリングの連続ともいえるので、荷重移動(加重抜重)と舵を切るタイミングが決まったときにはスムーズに加速できるし走っていてもキモチイイんですが、これがうまくいかないと曲がらないし走っていてもキモチワルイです。

光が丘フェスティバルのデュアル・スラロームのための練習(フォワードワンフットで15個のパイロンをいかに速く抜けるか)をするようになって、特にフレームの前後の荷重移動がうまくできていないことを感じていました。滑っていて、キモチワルイというか、きちんと滑れていない感じがしていたので、一時期やっていたウィール・ロッカリングをやめてみようと思いました。
 フラットのセッティングにすると曲がりにくさを感じますが二時間ほど滑れば慣れて、曲がれるようになってきます。
 以後、ロッカードのセッティングで滑る頻度が次第に低くなり、RB-10を購入した頃からはロッカリングすることもなくなりました。

1番から4番までのどのウィールに重心がかかっているかを意識する、意識しなくても適切に荷重移動ができるようになるのは難しいです。上手な人は事も無げにこなしているんでしょうけどねー。

難しいけれど、自分のカラダの感覚でクルマやバイクと同じ事ができる(自分のカラダを使ってやる分、クルマやバイクよりダイレクトにそれが感じられる)スケートって、やっぱり面白いです。

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(※本ページのデータは2015年3月現在のものです)



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