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 ■ケータイ雑記


 《要る?要らない?充電用置台と紙(冊子)の取説》

vodafoneから、メールでアンケートが送られてきた。

文面は「今後のサービス向上のため、V401Dに関するアンケート調査にご協力のほど宜しくお願いします」となっているが、実はこのアンケート、V401Dのユーザーだけでなく他機種のユーザー宛てにも来ている。
全部で18問からなっており、前半は機種ごとの操作や機能に関する設問。
後半は取扱説明書の電子化(CD-ROM化)と充電用置き台の廃止(もしくは有償化)に関する設問になっており、それは、どの機種のユーザーに対しても共通の内容になっている。
そのことから、前半の機種ごとの設問はただの『飾り』で、アンケートを送付した真意は後半の設問にあるのではないかと思える。

最近DoCoMoでは充電用置き台を標準セットから除いて、必要な人へは別売で対応したりしている。
「充電用コネクタを直に端末に差し込んで充電する事が多いので置台は不要」という声が多く寄せられ・・・というのが表向きの理由だが、そのことについてユーザーへの説明が不足したことから「なぜ置台が同梱されていないのか?」との問い合わせも多く、現場では多少の混乱が見られたようだ。

機器の取扱説明書については、auで一部機種のマニュアルがCD-ROM化されたりしている。これも従来のような紙(冊子)のマニュアルが欲しい人は店頭で申し出れば用意はされているようだ。(CD-ROMを読める環境にないユーザーもいるのだから用意されていなくては困るんだが(^^;)
端末が年々高機能化するにしたがい取説も分厚くなったり、何冊にも分かれていたり、読む前から「読む気を損なう」という意見も少なくない。
多くの情報を少ないコストで載せられることや必要な情報の検索が容易なマニュアルの「電子化」には、たしかにキャリア(メーカー)・ユーザー双方にメリットがある。
いずれにしてもコスト削減のために充電用置き台と紙(冊子)のマニュアルは標準セットからは削りたいというのが、業界の流れのようである。

vodafoneとしてもこれらを導入したいところなのだろうが・・・昨年(2003年)来の「改悪施策」によって低迷を続ける現状、余計な反発を招いてこれ以上ユーザー離れを加速させたくないので、実施の前にユーザーの意向を探っておきたいというのが本音だろう。

端末の機能は残らず使い倒したいので取説の類いも端から端までじっくり読み込むタイプな卜(ぼく)は、どんなに分厚くなっても取説は「本」がいいなー、と思ってる。
いつも、機種変して最初の一ヶ月は取説と首っ引きになるし・・・「何か調べるのにいちいちPC立ち上げるより本を見た方が早い」って感覚もある。あと、本なら持ち歩けるというのもあるしね。
電子化に反対はしないけど、本もずーっと残して欲しいなぁ、と。

充電用の置台は「あれば便利かな」程度です。
「尻刺し充電」繰り返したりしてると、コネクターのカバーがゆるゆるになってきたりすることもあるんだけどネ。

(本稿初出:2000/09/11)
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 《携帯電話の、これからのカタチ》

 ・・・についてあれこれ考えている・・・。
 まだまだ思索も浅いし推敲も甘いのはご勘弁を。

 書こうとしている内容的に、どうしても「スマートフォン」について言及しなければならなくなりそうなんだけど「スマートフォン」という言葉の定義って、実に曖昧なのねぇ。
 ここで「その定義を明確にしよう」などとというつもりはまったくないが、あらかじめ一般的な解釈については紹介しておきたい。
 まず、広義の解釈では「音声通話以外にもデータ通信などの機能を持ち、(電子メールのやりとりを含む)インターネット接続などが扱える携帯電話を“スマートフォン”と呼ぶ」とされている。
 この解釈は携帯電話の使い方がまだ音声通話主体だった頃からあるものなんだけれど、これを当てはめるならば現在国内で出荷されている携帯電話の大半が「スマートフォン」と呼んで差し支えないということになる。
 一方で、パソコンやPDAのような情報機器と携帯電話を融合したような新しい通信機器のカタチを指して「スマートフォン」という場合があり、最近の用いられ方としてはこちらの方が一般的かと思う。もう少し具体的に言うと、パソコンやPDAと同じように、端末にアプリケーションを追加して機能強化やカスタマイズができる携帯電話、ということだ。アプリケーションというとJavaとかBREWの実行環境が携帯電話に載るようになったのはつい最近の話ではなく別に新しいことでもないと思うかもしれないが、それを「スマートフォン」と呼ぶかどうかは「アプリのネイティブな実行環境があり、ユーザー自身の手で端末自体の機能拡張が可能かどうか」というところに現時点での境界線があるのでははないかと考えられる。

 日本国内の携帯電話はこれまで、キャリア自身の主導によって(もちろん、ユーザーの意向は汲みつつ、であるが)新たな付加価値が生み出されてきた。 その結果として現在ではメール、web接続、JavaやBREWの実行環境、などは特にユーザーが整えることなく、買ったときから端末の機能として備わっているのがあたりまえという状況がある。
 欧米など海外の事情と比較すると、最初に述べた広義のスマートフォン解釈でいうなら「日本の“ケータイ”は進んでる」っていうことになるかもしれない。

 しかし、日本の携帯電話はカスタマイズの自由度が低い(変えられるのはせいぜい待ち受け・メニュー画面や着信音ぐらい)という不満や、キャリアやメーカーお仕着せの機能ではなく、自分が必要な機能を取捨選択できる端末が欲しい、というこれまでのメインストリームからは外れるようなニーズも聞かれるようになってきた。
 実はこうした要望は以前からあったのだが、それはごく一部のもので、そのような声に応えられる商品もほとんど提供されてはこなかった。その意味から、「ユーザー自身の手で端末自体の機能拡張が可能であるかどうか」という点で見ると「日本の“ケータイ”は海外のものからは大きく遅れをとっている」とも言える。

 キャリア主導で端末の機能強化が図られたり、お仕着せのコンテンツだけを疑問もなく利用して何の不便も感じていない「日本の“ケータイ”事情」というのは、実は世界の中で見れば「特殊」なことらしい。
 少々不便でも自分が責任を負うっていうのは怖いよ。
 責任は「お上」が取ってくれた方がよい。
 という日本の精神風土に由来しているものだろうか。

 その背景には国内外の販売モデルの違いということもある。 端末の販売と通信インフラが一体化している日本と、そうではない海外とは条件を同じには語れないし、その功罪を並べると一概に「どちらが良い(良かった)」とは言い切れないところもあるんだけれど。

 これまでも、国産メーカー製端末の仕様に不満がある層や、自分にとって必要な機能(だけ)を選んで使いたい層は、例えばノキアが日本国内向けに発売している、いわゆる「stdモデル」を購入して国内キャリアのusimを挿して使ったり、DoCoMoにモトローラが供給しているM1000のような端末に手を出したり、海外のモデルに比べ制約があるとはいえ国産メーカー製の端末よりははるかに自由度の高いvodafoneの702NK,NK2を使ったりしていたわけだが、「そういうのは一部の特殊な人」扱いだったり「マニアのお遊び」と見られる向きがあった。

 その風向きも、最近は変わりつつあるように感じる。自分が必要な機能を取捨選択できる端末が欲しい、というユーザーの声に応えるような商品もチラホラ見られるようになってきた。
 携帯電話端末そのものが普及し、「新規開拓は飽和状態でこれからは買換え需要がメイン」と言われるようになったこともあるだろう。
 他の様子を伺いながら横並びでいくのではなく、できるだけ多様な嗜好に応えようという、あるいはこれまでにはなかったような新しい使い方を提案しようという方向性も見られるようになってきた。
 それともう、みんな、キャリアが用意するコンテンツとか端末の付加機能にも飽きてきたんではないだろうか?
 いや、皆さんがどうかは知らんが、卜はもう、お腹いっぱいな感じ。げふっ。
 コンテンツでは音楽配信とか着うたなど、機能で言えばワンセグチューナーとかFelicaとか音楽プレーヤー、カメラ、などなど・・・。選択肢は多い方が良いのはいうまでもないが、これってパソコンでいえば「人によっては使いもしないアプリケーションが勝手にプリインストールされている」ようなもんだよね?

 もともと卜は、ファミコンのエミュレータ入った702NKの画面を見せられて「ホレ、こんなこともできるんだぜ」って言われると(冷静に考えればそれがほとんど意味のないようなことであったとしても)心が揺れる層なんだが。
 端末の外観が着せ替えパネルみたいなものを使ってカスタマイズできるんなら、中身だってカスタマイズできてもいいんじゃない?それも、SHARPのカスタモみたいな限定的なものではなく。 ・・・と思うわけだ。

 まぁ、そのあたりを入り口にして、日本における「スマートフォン」市場の開拓ができないものだろうか?
 これは何かにつけて信頼感や安定感をウリにしているDoCoMoにはできない。
信頼や安定などハナから求められていないSoftBankだからこそできるのではないか。

 ところで、「hTC-ZやX01HT、W-ZERO3はスマートフォンと呼べるか否か」という卜には不毛にしか思えないような論争が起きている。
 議論の要点は以下のようになると思う。
 まず、PDAがベースにあって、通信の手段が備わればよいとする考え方。
 「携帯情報端末として何ができるか」が主で、通信方式は、あくまで手段にすぎない。
 現時点では一応インフラが完備されたともいえる携帯電話のネットワークに繋げられるのが最善、という方向性で、仮にWiFiがどこでも使えるような環境になればそれでもよいわけ。また、従来はいくつも持ち歩かなければならなかった道具をパッケージ化したことによる利便性の向上を評価するという見方。 これに対し、ノキアstdや702NKのように、携帯電話でマルチメディアコンテンツを扱うための機能を付加するなど、あくまで「携帯電話の利便性を向上するため」が主目的で、その手段として汎用OSを搭載するのだ、という方向性。
 その立場から見れば「Windows Mobileで、こんなこともできますよ」っていうM$のアピールなどは所詮、携帯電話端末に「携帯電話キャリアが考えた極め打ちの付加価値」が与えられているのと内実において変わらないということにもなりかねない。Windows Mobile搭載のPDAを携帯電話化するという方向性は、WM搭載PDAを必要とする人間、有効利用できている人間にしか意味がない、というか。
 そして、前者(X01HT、W-ZERO3ユーザー)の、「スマートフォンとしてはノキアなどより優れている」などの発言が後者の怒りを買い「X01HT、W-ZERO3はPDAフォンとでも呼ぶべきものであって、スマートフォンとは呼べない」という論争になっている、というわけ。

 ノキアの販売担当ディレクターであるマッティ・バンスカ氏は702NKの日本市場投入時のインタビューで「“2ちゃんねる”では、『黒船が来た!』と書かれていたそうですね?(笑)。『スマートフォン=PDA』と考えている人が多いように思いますが、スマートフォンとPDAはまったく違うものです。PDAとしての使い道は、スマートフォンの1つの姿に過ぎません。音楽に特化したもの、カメラ機能に特化したもの、ビジネスユースに特化したもの・・・スマートフォンには、さまざまな姿があります。オールラウンドにいろいろ使えるもの、それがスマートフォンだと考えています」と話しているが、さすがは世界のスマートフォン市場を牽引するノキアの中の人らしい発言だ。
 ただ、「PDAとしての使い道が、スマートフォンの1つの姿」であるならば、それをあえて「スマートフォンではなくPDAフォンと呼ぶべきだ」と譲らないのもどうなのかなぁ。どちらもスマートフォンと呼んでもべつにいいんじゃないの?
 富士山の五合目と頂上がどちらも「俺が富士山だ」と主張して譲らない、あるいは「どのあたりまでが富士山の“裾野”なのか」を議論するようなものではないかと(^^;

 X01HT、W-ZERO3のような端末の市場投入は、それ自体を評価してよいと思う。
 パソコンを持っておらず「ZAURUSにPHSを繋いでPIAF32k通信」がインターネット接続の唯一の手段だった時代の卜なら、フルブラウザで定額通信ができるW-ZERO3に飛びついたかもしれないなぁ。
 こういったPDAベースの「スマートフォン」はどんどん企画として上げてもらいたいものだと思うが、それと平行して海外の標準モデルとしての「スマートフォン」が、国内でも(単なる「マニアのお遊び」ではなく)一般化するような企画の検討もしてはもらえないだろうか、と。

 もうひとつのスマートフォンにまつわる論争は主にvodafoneで発売された702NK,NK2,804NKに対する疑難で、「キャリアによるガチガチの機能制限がかけられた状態で売られているこれらの端末を、海外のスタンダードモデルと同様にスマートフォンと呼ぶのはいかがなものか?実際、キャリア自身もスマートフォンとして扱ってはいないではないか」というものがある。
 これに関してはX01HT、W-ZERO3のような端末のユーザーからばかりではなくノキアのスタンダードモデルを購入して使っているようなユーザーからも言われたりする場合があるようだ。さらに細かいことを言うと、アプリケーションインストールの制約の度合いが702NKで採用されているS60 2ndと804NKで採用されているS60 3rdでは異なるために、制約の厳しい後者(804NK)に対して前者(702NK)ユーザーが「エミュレーターも動かないようなものをスマートフォンと呼べるか」と馬鹿にされるようなケースも見られる。
 こうした議論も単に「それをスマートフォンと呼べるか呼べないか」という、スマートフォンの定義論争だけで終わってしまったら意味がないものになってしまう。

 先に述べたように端末販売と通信インフラのキャリアによる提供が一体化している日本では、端末の不具合がネットワークに及ぼす悪影響(あるいは端末自体の不具合に関するクレーム)の可能性を排除したい、というキャリアの思惑もからんでいるということはあるのだろう。
 ただ、それが日本におけるスマートフォン市場の拡大を阻んでいるのだとすれば、新規開拓より買換え需要にシフトしつつある現状を考えても、キャリアが対策を講じさえすれば新たな市場を拡大できる可能性もあるといえるのではないかと思う。
 パソコンの一般への普及とともにこれまでよりは自己責任の原則も浸透しつつある。
 (セキュリティに対する意識や個々の責任の自覚、メディア・リテラシーの向上が道具の普及に伴っていないからこそ世間を賑わすいろいろな事件や問題も起きているのだ、と水を注すのは、ここでは止めておこう。少なくとも「スマートフォンを使いたい」と考える層はそれなりの自覚も持っているだろう、ということで(^^;)
 実際、702NKやW-ZERO、X01HTなどの発売で「人柱」的にスマートフォンを使っている“勇者”の皆さんが、スマートフォンの一般への理解を広げたり、スマートフォンは難しいという認識、垣根を壊したり、スマートフォンユーザーの裾野を広げたりしている。出来の良い端末にはwikiのような形で情報交換の場ができ、ユーザー同士がそれを共有できるような環境も昔に比べれば作りやすくなっている。それは過去に何度か「それらしきモノ」が発売されながらもコケてきたということを思い返してみても、いままでには見られなかったような現象ではないか。

 常に持ち歩く携帯電話端末に「通信費定額でフルブラウザを使う」とか「Skypeをモバイル環境で使う」とか、「インターネットメールに添付されてきたExcelファイルを読む」とか、通信とPDAの機能が融合したような新しい付加機能が求められつつある。
 漠然と何かができる機能が付いていればできないよりは楽しい、と考えるのではなく、初めから何らかの目的感を持って端末を選ぶユーザーも増えてきている。
 現在も日本の携帯電話の高機能化は進んでおり、たとえばドキュメントビューワやPCサイトブラウザの標準化なども進んでいるが、キャリアがあらかじめ付加価値を用意するという方向性は変わっていない。
 そろそろ「携帯電話でこれこれこういうことができます」というキャリア側の押し着せではなく、ユーザー側に何ができるかを選択する自由が与えられるような環境が欲しい。

(本稿初出:2006/11/27)
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 《「不当広告」というけれど・・・》

2人に1人はドコモ?
「2台に1台は」っていうんならわかるけど、「2人に1人」と言われると「それは違うでしょ?」と返したくなる。複数キャリア契約している人だっているだろうしね。

 ◆携帯電話の料金広告表現、全社を公取委が調査
 SoftBank Mobileの「¥0広告」は、「不当広告」と呼ばれてもいたしかたのないものだったかもしれない。
 DoCoMoではこのSoftBankの失態をついて、というか利用して、店頭などでさかんに端末購入も料金プランもSoftBankよりもDoCoMoの方が安いと広告している。
 それ用のパンフ、チラシなども用意して、比較広告というよりはネガティブキャンペーンと思えるほどだ。

 この他にも比較対象とする他社の料金プランは「※2006年11月10日現在、各社ホームページより抜粋」したように書いておきながらSoftBankのものについては11月10日時点では既に公式に案内されていないはずの旧ボーダフォン統一料金プランを持ち出して比較していたり(DoCoMoにとっては比較されては困るオレンジプランはwebページにでかでかと載っていたはずだがそれは無視?)、同じチラシで 家族割引についてドコモ25%、au25%、SoftBnak 主回線なし/副回線50% としているのも真っ赤な嘘(ソフトバンクの家族割はブルー・オレンジを主回線、副回線を統一プランに設定することもできるので、家族割引について書くならドコモ25%、au25%、SoftBnak 主回線25%/副回線50%と書くのが正確) だったり、さらに無料通話のくりこしについても、11月10日現在SoftBankのwebページでは案内されていない、SoftBankに不利な旧統一プランでだけで比較しているものが堂々と存在する。

 確かにゴールドプランの¥0が様々な条件付きである事やスーパーボーナスという販売方式で¥0になるのにも一定の条件があることを隠すようなやり方が良くないとの指摘は当然のこととしても、それと比較して「DoCoMoの方が得」と断定してしまうことについては、どうなのよ?
SoftBankが発表・導入した新料金プランはゴールドだけではなく、個々の利用状況によってはDoCoMoよりはるかに維持費を安く抑えられるケースも多いはずなのだから。

 もちろん、DoCoMoは留守電有料だがSoftBankはタダです、とか、自社にとって都合の悪い他社の利点をわざわざ宣伝する必要はない。
 しかし、比較広告という手段を用いたいならばあえて客観的な情報を提示した上で、相手の弱点を突くのがフェアなやり方ではないだろうか?
 月々の使用状況のシミュレーションとか、平日昼夜の通話料金とか、ある程度の基準を揃えた上での比較でなければお客さんにとっては全く意味のないものになるし、お客さんから判断の基準となるような材料を奪った上での広告ならそれはSoftBankが行なった¥0広告と内実において何ら変わることのない「不当広告」そのものであろう。

 ¥0広告の不当性を指摘することと、料金プランや維持費が得かどうかは別問題だ。

 これでは、SoftBank側から「ゼロ円の文字ばかりデカくて断り書きが小さいとか文句をつける前に、自分の所の嘘つき広告をなんとかしろよ」と言われても仕方がないのではないだろうか。
 良識ある自キャリアユーザーですら「やり方がえげつない」「国内No.1キャリアのやることではない」と眉を顰めるようなMNP以降のDoCoMoの広告展開には疑問を感じざるを得ない。

 その点、auのやり方は巧い。SoftBankの不当広告については批判を投げながらも(そもそも今回、公取委が動くことになったのもKDDIの訴えによるものと言われている)、対MNP広告戦略としては「auにして、これだけ満足しています」と、あくまで自キャリアの満足度が高いことを強調しながら他のキャリアで不満を感じている層に呼びかけるような手法を採っている。

 だが、そのauにしたって広告や案内を精査してみると「これは果たして不当広告とは言えないだろうか?」という部分が皆無ではない。
 具体例を挙げるならば、過去に「ダブル定額ライト」が導入された時は、それまでの「ダブル定額」が1000円に値下げされたかのような広告を打っていた。 そこでは、ダブル定額ライトとダブル定額ではパケット単価が違い、ライトではパケ単価が上がるという中身については触れていなかった。最大定額料は4200円と変化はないが、使用パケット量が定額上限までいかないような使い方をしている人の場合には実質値上げになる、ということは隠していた。
 広告を見ただけでは値上げされていることに気が付かない、というのはどうなんだろう?
 もうひとつの例としては「無期限くりこし」について。
 auの無期限くりこしは「無期限」であるかもしれないが繰り越せる金額は「無制限」ではない。
 プランごとに繰り越せる金額の上限が定められているので、繰り越し上限額÷プランで定められている無料通信額=繰り越せる月数ということになり、仮にまるまる無料通信分を翌月以降に繰り越した場合でも実質の金額的に、最短の場合では3ヶ月程度を限度とした繰り越しという「制限つき繰り越し」ではないの?という解釈も出てくる。
 それを「無期限」と呼んでいるのは、どうなの?という疑問の声も上がっているのである。

 別に、SoftBankの不当広告を擁護する目的でこのような話をするのではない。
 卜(ぼく)は過去にでvodafoneが旧J-PHONE料金プランから統一料金プランへの移行を促すのに姑息なやり方をしていることについての批判を書いたりもしたし、

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 カタログをよく読み込むと、キャリアの本音が見えることもある。
 カタログはキャリアが考えている方向へユーザーをうまく「誘導」する道具のひとつでもあるからだ。
 当然のことながら、キャリアにとって都合の悪いことはなるべく記載しない。
 免責事項など、やむを得ず記載しなければならないことは、なるべく「目立たぬように」載せる。
 サービスの方向を転換する場合には、旧サービスを少しずつ片隅に押しやり、新しいサービスを大書する。
 ある程度移行が済むとみるや、旧サービスの掲載を落とす。
 こうした「誘導」は主に「企業側の都合」によってなされるものであるから、それが個々のニーズに合致しているかどうかをユーザーは見極める必要がある。
 目立つところだけを追っていると、商品選びについて「思わぬ失敗」をしてしまう恐れがあるからだ。
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 といったようなことも書いたことがある。

 どんなキャリアでも大なり小なりそういうことはあるわけで、今回はそれが度を越したものであったからSoftBankは叩かれたのだろうが、SoftBankが「そんなことは他のキャリアだってやっている。調査を望む」と公取委に訴える気持ちもわからないではない。

 要するに、これも繰り返し述べてきたことだが、ユーザー自身が賢くなる以外にはないのではないか?というのが結論だ。
 これはかなりひねくれた言い方であることは承知の上だが、auの顧客満足度が高いというのは「auはユーザーに気づかれないようにうまくやってる」その、やり方が巧いだけのことなのかもしれない。
 先に上げた例で言えば、もしかしたら今でもダブル定額ライトとダブル定額では使用パケ単価が違うっていうことを知らない人が実は多いんじゃないだろうか?と思ったり。
 繰り越しについても、実際に3ヶ月以上繰り越し分を貯める人もあまりいないだろうし、仮に繰り越す人がいたとしてもそんなに繰り越した人が繰り越し分をいつ使うんだってことになるから、実質金額的に最短3ヶ月程度の制限繰り越を「無期限」と呼んでも問題が起きにくいだけのことかもしれない。

(本稿初出:2006/11/27)
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 《ネ申木幾禾重》

 携帯電話端末の中には「神機種」と呼ばれるものがある。呼ばれるというか勝手に呼ばれてるというか。
 自らの想像を超えた使い勝手の良さや優れた機能が搭載された端末に贈られる称号だ。
 ただし、端末に求める機能は人によって様々であるから、ある人にとっては神でも他の人にとっては神でもなんでもない、ということもある。
 ところでこれ以降、内容的にはSoftBank1キャリア内限定的な話になるが、悪しからず。

 vodafone(現SoftBank Mobile)へフラッグシップモデル投入を続けてきたSHARPのハイスペック端末は、常に先進の機能を搭載し新しいコンテンツへの即時対応を続けてきたこともあり、「神機」と呼ばる頻度が高い。
 しかし、2006年末に発売された910SHと911SHの内容が機能分化と思えるようなものであったことや、GPSなど一部の最新機能がどちらの端末にも非搭載であったことなどから、いわゆる「全部入り」の端末を求めてきた層の間からは「SoftBankからは、もう神機が出ないのか・・・orz」等々の不満の声も聞かれ始めている。
 正確には「SoftBankからは神機が出ないのか・・・」というよりは「もうSHARPは全部入り端末を出すつもりはないのか?」という嘆きだろうか。三月には911Tが発売され、これは「ほぼ全部入り」な端末だったわけだが、あえて夏に発売が噂されるSHARPの次期端末まで見送るという声も少なくなかったようだ。
 VGA液晶にGPSにワンセグTVにラジオに音楽プレーヤーにAFおよびズーム付き3メガピクセルカメラに...etc.これだけ携帯電話端末に求められる機能が多様化すれば、同一メーカー内で複数の端末に機能が分化されて発売されるというのも自然な流れではないかとも思うし、同じ時期に複数の端末に機能を分化して発売するようなことができるのも「SHARPであればこそ」って気もするんだが。複数のキャリアに端末を供給しているメーカーであれば、ほぼ同じ時期に、キャリアごとに一機種を開発していくのも大変なことだろうと思うので。
 「全部入り」を神と崇めてきた人々にとっては、「あちらを立てればこちらを立たず」ではイヤなのだろう。日常から機能を全部使いこなしまくりな人がどれだけいるかは疑問だが、使ってみたい機能が使えないのは我慢ならず。かといってそのために複数台所有するのではなく一台で全部済ませたいという人には。
 そして910SHや911SHを前にして「これを二年間使い続ける自信がない」という。
 日進月歩のこの業界では(そろそろ飽和状態になってきているとはいえ)一年も経てば目新しい機能やコンテンツが次々に生まれている。新機能を搭載したり新コンテンツへ対応した新機種が発売されるのを、指をくわえて見ていることはできない、というわけだ。
 「二年間使い続ける」という、その背景にあるのはスーパーボーナスの二年縛りだ。もちろん、使い続け「ねばならない」わけではなく、使い続けるのを止めればキャッシュバックが減る、または端末購入代金を余分に払うだけのことで、27ヶ月までは使い続けなくても20ヶ月くらいまで使えば端末買い替え費用はこれまでとさほど変わらないのではあるが。

 さて、卜(ぼく)は複数回線所有しているが、一月に705NKに機種変更するまでV401Dを二年半以上使い続けたし、最長のものではJ-DN03を六年使い続けている。卜にとっては、長く使い続けていられる端末こそが「神機」なので、最新のSHARP機が本当に長期間の使用には耐え難いものであるならば、それは「神でもなんでもない」ということになる。「あれは神機だった」などと過去形で呼ばれる「神」って、なんなのよ?とも思うし・・・っていうか、たかが携帯電話端末を神呼ばわりするのもどうかと個人的には思いつつこんな原稿書いている自分は・・・と自己批判をしてみたり。
 過去にJ-SH07を約三年にわたって使ったこともあるけれど、それは神機どころかメイン機としてはとても使えるようなシロモノではなかったが暗黒のvodafone時代には機種変更をしてもいいと思える端末がほとんど出なかったことも重なり、写真を撮ってメールで送る以外の機能は全く使わずに寝かせたままだった。SH07以前に買ったDN03はメール専用端末ではあるが今でも現役稼動中である。

 ハードウェア、スペックが最新で最先端の機能を満載していれば「神機」と呼ぶ層と対極にあるのではないかと思えるのが、アプリケーション(ソフトウェア)の追加によって端末機能の強化を図ることができる702,702NKなどを「神機」と呼ぶ人たちである。(いわゆる勝手アプリや超勝手アプリがインストールでき、現行の705NKよりはるかにカスタマイズの自由度が高いこれらの機種はいまなお支持する人も多い)
 前者がハードウェア的側面を重んじるのに対し、後者はソフトウェア的側面を重んじる。
 ソフトウェアの更新や強化は、ある意味端末のハードウェア自体の古さを忘れさせてくれる効果がある。もちろん、ソフトはハードに依存するから、最新のハードウェアスペックではなければ動かないアプリが増えてくるまでの間は、という条件付きになるが。

 よくよく考えてみると、卜が使い続けているJ-DN03とか長く使ってきたV401Dといった機種も、スペックだけを見れば同時期に、あるいは以後発売されてきた機種に見劣りはするかもしれないけれど、ユーザの使い勝手を第一に考えたインターフェイスや軽快な動作を支える秀逸なソフトウェアは、ハード面で劣る部分を補って余りある。すべてにおいて、とは言えないかもしれないが、ある機能に限って言えば二年、三年を経ても現行機種と互角以上の使い勝手を持つのではないかと思えるほどだ。
 そういう部分が、自分が必要と感じる機能とマッチしたとすれば、それはもう手放し難い端末である、ということになる。

 「機種変(買い増し)二年縛り」と言われるスーパーボーナスという販売方式がもたらすものはいろいろあるだろう。メーカーが新しい端末をリリースするタイミングで自由に機種変更を考えることができなくなった(いや、実際はできなくなってはいないんだが)という不満は大きいようだ。新しいモノが出れば使ってみたくなる気持ちもわからなくはない。
 もし「ユーザーが本当に二年使い続けたとしても不満を感じない端末の開発」という方向に端末メーカーの意識が少しでも向けられることになれば、それは卜にとっては願ったりのものであるのだけれど。
 長く使って飽きのこない端末を作って買換え需要が見込まれなくなったらメーカーも困るんだろうけどね。

 以上、昨年(2006年)11月に書きかけのまま出さずに腐りかけていたものを引っ張り上げてみました。

(本稿初出:2007/05/03)
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